夕霧ジャーナル

ブランクはありますが2005年から長く続いているブログです。

柿の種のクランチとCALLING YOU

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柿の種がクランチ・・・。しかもホワイトってまさか、ホワイトチョコレート?そ、そんな、そんな想像を絶する組み合わせがあるはずがない。これは夢だ。何かの間違いだ。

柿の種ホワイトクランチをはじめて見たときそう思ってしまいました(いただきものなのにちょっと失礼なわたしですが)。そんなだから、口にするのはもちろんためらわれました。しかし。せっかくいただいたものにまったく手をつけないのもどうだろうと思ったし、どんな味だろうと話のタネにはなるしと思ったので勇気を出して食べてみることに。おそるおそる個包装をあけてみると、中から出てきたのは砕かれホワイトチョコにひたされた柿の種。い、いやあああ〜柿の種が〜つぶつぶにいいい〜、と、少し取り乱してしまいましたが気を取り直してまずは深呼吸。そして自分に言い聞かせる。このこんがりとしたなじみの焼き色は、間違いなく柿の種だ。その柿の種が、いままでおいしくなかったことが一度でもあったか?いや、ない。いつだって柿の種はおいしかったさ。じゃあ、ホワイトチョコはどうなんだ?ああ、それだっておいしいさ、いつだっておいしかったさ。そうだ、そのおいしいもの同士が、こうして組み合わさっているだけさ。心配するな、死ぬほどまずいとか、そんなわけはないさ。さあ、まずは一口かじってみろよ。よし、わかった。せーの。

ん?こ、これは。悪くない。っていうかおいしいじゃないか。柿の種の香ばしさはそのままに、辛味はホワイトチョコレートのミルキーな甘さでやわらいでいる。お互いが引き立て合う組み合わせだ。デリシャス。

ためらいを経て食した柿の種ホワイトクランチはおいしかった。こんなことなら、と思った。柿の種チョコレートを食べてみるべきだった。柿の種がチョコレート(ホワイトじゃなくてミルクチョコ)でコーティングされているその商品をコンビニで見かけたとき、そのあり得なさにスルーしてしまったのだ。しかし、柿の種とホワイトチョコの組み合わせがおいしいとわかったいま、柿の種とミルクチョコの組み合わせだってきっとおいしいに違いないと思えるのだ。でも、もう近所のコンビニでは売ってない。誰かの気まぐれ、あるいはほんの冗談で生まれた一時的なものだと思っていたけど、きっとそうじゃない。話題になっていたときに、食べてみたらよかった。惜しいことをした。どこかで売っているのを見かけたら買おう。

NOW 1

家で地味な集計作業を黙々としていました。かなりの量があったし、項目も細かったのですが、数日かけてやっと終わりました。その作業ちゅうに流しっぱなしにしていたのは、相方の車の中で見つけた「NOW 1」というCD。93年の発売。相方はこのCDをつい最近中古で買ったそうですが、テレビのCMやラジオなどで何度か聞いたことがある曲ばかりだし、どの曲も古びた感じがしなくて、身近にある馴染みの品みたいに親しめました。というふうに書いているいまも流しっぱなしにしています。

で、そんな名曲の中にあって特に思い出深いのが三曲目の CALLING YOU です。いちばんはじめにこのCDを再生したとき、曲のリストをろくに見ていなかったので不意打ちをくらってしまいました。よみがえるあの情景。ひとり暗い映画館の座席に沈みながら、ジュビエッタ・スティールが歌う CALLING YOU に涙していた。まだ二十歳そこそこのわたし。わたしにも居場所があるのかな、どこかにわたしを待っている人がいて、この瞬間にもわたしを呼んでいるのかな、生き続けていれば、いつかそこにたどり着けるのかな。まだ昼過ぎだったせいか、映画館はガラガラで、ほんの数人の観客が間隔をあけて座っていた。近い座席には誰も座っていない。それをいいことに暗闇の中でぽろぽろと涙が落ちるままにしていた。当時、自分を取り巻くさまざまなことに押しつぶされそうになり、息も絶えだえだったのだ。希望を失いそうになり、沈みこんでいきそうになっているわたしの心を、優しく受け止めてくれた、柔らかな手のような、バグダット・カフェと CALLING YOU 。

映画館の帰り道、パセオ玉光堂に寄って、バグダット・カフェのサントラを買った。そして帰宅してからは何度も繰り返しCALLING YOU を聴いた。あの当時の状況を、いまのわたしならもうちょっとうまくやり過ごせるんじゃないかと思う。だてにこの年月を過ごしてきたわけじゃない。しかしあのころはまだひよこちゃんだったのだ。この場所からあのころのわたしを抱きしめてやりたい。

四曲目は、ポール・マッカートニーの明日への誓い。出だしのギターで一気に現在に引き戻され、チャカポコとした弾むような曲に軽く立て乗りして、体を小さく揺すりながら、首を小刻みに上下させて聴く。ギルバート・オサリバンのエニイタイムは左右に大きく揺れながら、べリンダ・カーライルのイッツ・トゥーリアルは首を揺すりながら左へ右へ交互に動かし、レニー・ビッッツの自由への疾走では体全体で上下にズムズム揺れて、US 3 のカンタループでは肩を交互に揺すりながら、「パンプキン!パンプキン!」と小声で言ったりしてみる。・・・パンプキン。そう、わたしにははじめそんなふうに聞こえて、のりのりでパンプキン!とか言ってましたが、それにしてもかぼちゃはないよね、と思って確認してみたら funky funky でした。でもパンプキン!って言って楽しんでいます。パンプキン!パンプキン!

三曲目だけ、とてもしんみりして微動だにせずに聴きますが、それ以外はのりのりです。丸ごと楽しめるCDです。