目の前の棚にはDVDがずらりと並んでいる。右を見ても左を見ても、見上げても見下ろしても、はたまた振り返ってみてもDVD。ひとつひとつはとても薄っぺらだが、その中には壮大な世界が詰め込まれている。古代から未来、宇宙から海底、世界中の国のあらゆる人々のあらゆる物語、笑いあり涙ありそして戦慄のホラーやスリリングなアクションまでなんでもそろっている。DVDを借りるため、久しぶりに訪れたゲオでわたしはそんなふうなことを考えながら胸をときめかせていた。映画を観るのも久しぶりだ。最近はテレビで放送される映画をこま切れに見るだけで、じっくり最初から最後まで通して鑑賞することもなかった。テレビだとどうしても、合間に入るCMを機に立ちあがって家事に手をつけてしまい、いつの間にやらCMがあけて映画がはじまっていたりする。そしてふたたびテレビの前に戻るまでの数分間の映像を見逃すのだ。どうもせわしなくていけない。CMの隙にあれをやってしまおうとか、これを終わらせてしまおうとか思ってしまう。最近いろんなことに手をつけはじめてしまったというのもある。やらないでいてもなんの問題もない、けどやってみたい、そんなようなことだ。
いま、ゲオはキャンペーン実施中。DVD旧作が全品100円。相方がこの機会を利用していろいろ借りるというのでわたしもくっ付いていって乗っかったのだ。そして借りたのがこの3本。ヘアスプレー、マイ・ブルーベリー・ナイツ、王妃の紋章。今夜、腰を落ち着けてまずは1本観ようと思っている。どれにしようかな。
DVDを物色している最中、ホラーもののコーナーをうっかり直視してしまい気分は後ずさりだった。わたしはこの手の作品に弱い。怖くてたまらないのだ。絹を裂くような悲鳴が聞こえてきそうなパッケージ。悪しきなにかが詰まっていそうに思えてしまう。物語の世界から適切な距離をとることができないのが問題なのかもしれない。冷静に眺めることができればいいものの、何も考えずにどっぷりと浸ってしまうところがホラーを苦手にしているのかもしれない。もともと怖がりで、小さなころからホラー映画を観た日には夜トイレに行くのが怖くて泣きそうだった。グレムリンでさえだめで、ギズモのぬいぐるみを恐れた。そんな傾向はいまも変わらない。
ロード・オブ・ザ・リングくらいまでだろう。劇場で観たが、あれだってわたしにとっては十分怖かった。闇に飲み込まれようとしている息も絶え絶えの世界で、ほんの小さな最後の光が死の道をゆく。過酷で絶望的な旅路。主人公の歩みもさることながら、一番怖かったのは無数のオークが城を攻めるシーンだった。周囲を黒く埋め尽くすオークたちの叫び声、いまにも城門が砕かれようとしている。踏み込まれたら最後、家族が目の前で惨殺され、自分自身もなぶり殺しにされてしまうだろう。圧倒的な数の差。敵方が多すぎる。死を覚悟し、引き裂かれるときを震えながら待つしかない。なんという凄惨な状況だろうか。
たしかにあれは遠い昔の、いや架空の世界の物語だ。いまの日本では起こり得ない。しかし、昔はあっただろう。戦国時代なんて戦の連続だったのだ。兵糧攻めにされたり、力で打ち破られたり、ご先祖がそいう目に遭っていたかもしれない。映画のなかのシーンにリアルな恐怖を感じるのは、もしかしたら遺伝子のなかに埋め込まれた記憶だったりして。などということを、ホラーコーナーを眼の端に捉えながら、避難したファンタジーのコーナーに並ぶロード・オブ・ザ・リングを見つめてなんとなく考えていた。
ああやっぱりホラーは怖いです。どうにかなりませんかね、この怖がり。