夕霧ジャーナル

ブランクはありますが2005年から長く続いているブログです。

なにあの針こわい、終活を考える

 海外でのコロナワクチン接種の様子をテレビで見るたびに思う。注射針が長い。わたしが知っているインフルエンザのワクチンとかの注射針よりも長い気がする。それを上腕にズブシュと、「えいやっ」っていう感じでまっすぐにぶっ刺しているように見える。えええー?骨、骨に当たってないそれ?自分の二の腕を触って確認してみるけど、あれくらいの長さのものを刺したら確実に骨に当たるような気がして、ガツッて、ガツッてなるような気がして、想像するだけでへなへなとちからが抜ける。接種を受けられるなら受けたいと思うんだけどどうなの?あんなふうに刺されるの?もともと注射が苦手で、採血のときもワクチン接種のときも直視できずに目をそらしているわたしにとってあの光景はおそろしい。でもワクチンは希望。おまかせして打ってもらうしかないんだよね?目を、目を閉じていることにします。ものすごくぎゅっと。

 久しぶりの日記です。日付を見たら去年の3月以来。せっかく有料プランを使っているのになんということでしょう。ホスティング型のブログを使っていてこれはもったいない。2年分の料金をすでに払ってあるというのに。以前もそうでした。せっかく払っていて放置。有料プランを使うと更新できないという呪いにかかっているのかと思ってしまいます。いやですね。
 
 この1年ちかくのあいだ、わたしにもいろいろなことがありました。最初の緊急事態宣言が出たあのころは、じっとしていればコロナ禍なんて数か月で収束すると思っていたのに今でもまだ緊急事態宣言の下での暮らし。去年は休校があり、小学生の息子ももちろんずっと家にいることに。彼の勉強を見て、いつもはてきとうに済ませる昼食もきちんと用意して、いつもよりやることがたくさんで、自分のことをしようとしてもそれが満足にできない日々。さて仕事と思ったとたん、「宿題が終わったから丸をつけて」、「ここがわからないから教えて」。午前中に勉強をすませる約束をしていたのでほぼつきっきりで何もできない。学校からは大量の宿題や課題が出ていて、動画での学習もすすめられていたため、どれをどうやるのかも教えなければなりませんでした。そうこうしているうちにもう昼食の時間。調理して食べ終わって後片付け。掃除に洗濯に買い物。やっと仕事をしようと思ってもずっと家にいる息子に何度も話しかけられて(おやつを食べていいかとか、ジュースが飲みたいから明日買ってきてとか、ゲームでこんなことを始めたとかどうなったとかこうなったとか)全然集中できず気が狂いそう。あっという間に時間は経って、今度は夕食の準備の時間。調理して食べて後片付け。時間を持て余している息子があまりゲームばかりしないよう夜更かしにならないよう声をかけ続けなければならない。そんな生活がどれくらい続くのかもわからない。そんなふうにすごしていると、次第に時間ができても何も手につかずぼんやりしてしまうように。休校が明けてもその状態はかわらず、夜も眠れなくなり疲れ果ててついに病院のお世話になりました。初診で検査の結果、わたしは強い緊張状態にあることがわかり、突然死の可能性があるくらいひどいありさまでした。わたし、死にかけてたの?死にそうなの?と足がすくむ思い。危なかったと思います。本当に追い詰められてしました。何も楽しくない、何にも興味が持てない、やっとのことで生きているような状況。生き地獄。治療を受けて最近ようやっとこうして日記が書けるまでに回復しました。真面目に病院にかよったかいがあったというものです。大変だったけど、いやまだ大変だけど、なんとか持ち直しています。こうなったのも全部コロナウイルスのせいです。亡くなった方もいて、重症の方もいて、本当になぜこんなことになったのか。早く終息することを心から願っています。

 ときどき思うんですよね。目に見えないくらいのミクロなコロナウイルス。小さいってやっかい。もしもコロナウイルスがバスケットボールくらいの大きさだったらすぐに発見してよけたり消毒したりできるのにって。

 幸いなことにこうして日記を書くことをまたはじめることができたので、しばらくは毎日続けてみようと思います。では、明日もまた。書かずにいた期間、死を身近に感じたこともあり、遺言というか今はまだ10歳の息子にこれから伝えようと思っていたことをここに書いておこうかなと思って。これもある意味終活なのかもしれない。レシピとか家族の話なんかも書いておけたらなと思います。そしてここの存在を教えておいて、わたしがいなくなったら読んでみてと伝えたい。コロナもね、自分が罹患したらどういった程度になるのかもわからないですからね。なるべく書けるうちに書いておきたいです。