もう触れることのできない過去に思いをはせて

お盆のお供えの花と落雁

お盆の期間中に花と落雁を飾っていました。うちには仏壇がないんだけどね。ここ数年お墓参りにも行けていないので、こうして気持ちだけでもご先祖様に手を合わせようと思って。花を飾った方向は、祖父たちの眠る石狩霊園のある方角なはず。

わたしのご先祖といえば、曾祖母まではちょっと接点があった。祖父方の曾祖母は長生きして100歳まで生きたから、彼女の生前、わたしがまだ小さいころには、というか赤ん坊のころには何度か会ったことがあるようだ。でもそれ以降は会ったことがないので記憶がない。そんなふうだから、さらにその前の世代のことについてはまったくわからない。どんな人だったのか顔も名前も知らない。でもその人たちは確実に存在していた。だから今わたしがこうして生きてる。どんな人たちで、どんな人生を送ったんだろう。さかのぼっていけばいろんな人たちがいたはずだ。いろんな職業、いろんな環境、破天荒だったり悲劇的だったり、あるいはとても恵まれた幸福な人生だって。

その人たちはみんな、未来にこうしてわたしみたいな人間が存在して、そしてお盆にお花とお菓子をお供えして自分たちに思いをはせているなんて知りようがないんだ。でも思ってる。想像し、慈しんでいる。人生というのはこのうえないドS教師みたいなものだ。課題を与えるがその課題がなんなのかは絶対に教えてくれない。課題を解いたとき、はじめてそれがどんな課題だったのかを知ることになる。そして課題が解けるまでどんなに苦しくても決して解放してくれない。ひどいものだ。どんなに恵まれた人生を送ったとしても、ひとつの課題も与えられないなんてことはないと思っている。だから、その苦労や困難を想うとき、産まれて老いて亡くなっていったその道筋に愛おしさを感じる。できれば真実を知りたい。けど過去にはどうがんばってもさかのぼることはできない。闇と光が交差する、木漏れ日が差すようなまだら模様の道。歴史をもっと知りたいと思う。

落雁は下げたけど花はまだ枯れずにテーブルを彩っています。菊の花はかわいいしきれい。