ふわふわーっと乗り切る

昨日の臀部を痛めた件。朝起きてみると左の足の付け根からふくらはぎの裏側、そして足先まで筋肉痛のような重だるい感じがあった。翌日まで残るとはけっこうな痛め具合だったのではないでしょうか。肉離れの一歩手前までいったのかと考えてしまいます。もうちょっとちからが入っていたら今頃病院に行っていたのかもと思います。しかし尻を引き締めただけでこのようなことになるとは。運動不足なの?今はほんの少し違和感が残っている程度。明日にはもうすっかり治っていそうです。怖いね、ちょっとのミスで生活全般に支障をきたすところでした。危ない引き締め行為。

パソコンの調子が悪いです。立ち上がるのに時間がかかるようになってきたし、なぜかスクリーンショットが撮れなくなりました。ワイヤレスをいったんオフにしてからオンにしないとインターネットに繋がりません。わたしにはよくわからないけど徐々に機能が失われていく感じ。そろそろ買い替え時なのかな。この日記はパソコンを使って書いているのでもし途切れたら新しいものをヨドバシドットコムで注文中かもしれません。

フール―が見られなくなっていたのであれこれやってみました。最初は料金が引き落としになっていなかったのかと思い調べてみたけど支払ったことになっている。ではなぜなのでしょう。テレビの主電源を切ってからもう一度立ち上げて、キャッシュも削除して、そうしたら見られるようになったけど、動画が全然再生されない真っ黒な画面を見たときにはガーンとなりましたね。何をどうしていいのやら。せっかくのフール―が楽しめない。原因もわからずじまいだし、今はもう直ったけどそれはなぜなのかも全然わかっていないわたしです。仕組みが、仕組みがどうなっているのですか。わからないままになんとなく乗り切っている感じ。ふわふわーっとしています。

ファンシーな思い付き

お風呂場の鏡に映った自分の尻。もし筋肉を鍛えたならきゅっと上がるのかもしれない。ヒップアップ。そうするとどのような見た目になるのか。振り返って鏡面の尻を見つめながら瞬間的にふんっとちからを入れてみた。尻はぐっと引き締まった。ほほう、上がるな。では筋トレにいそしむのもいいかもしれない。そうすれば美尻への道を歩めるのだろうか、などと思った次の瞬間。臀部の左下がめちゃくちゃ痛くなった。肉離れしたのかと思うほどの激痛。固まって動けない。痛すぎて足が動かせない。ちょっとでも動こうものなら激しいこむら返りのような、引き絞られるような痛みが走る。無言でシャワーの湯に打たれながらフリーズしていた。そのとき頭をよぎったのは。明日、朝イチで整形外科へ向かう自分の姿。歩けないからタクシーで。マンションの入り口まではなんとか手すりを伝ってほんの少しづつ歩を進めることだろう。あまりの激痛に額に大粒の汗をにじませながら......それよりこれからどうしよう。風呂を出るにも一苦労だ。どうやって体を拭こうか、どうやってパジャマを着ようか、明日の朝どうやってごはんの用意や身支度をしたらいいのか。治るまでどうやって生活をしよう。そんなことをぐるぐると考えているうちに痛みがふっとやわらいできた。一時的に痛かっただけのようで、その後はどんどん引いていく。最悪の状況を想像したあとの平穏。普通に動けることの有難さ。

今はコロナが蔓延していいるさなか、そんな折にちょっとお尻に力入れ過ぎちゃって肉離れしましたという理由で病院に行ったらどうなるのでしょうか。スポーツをしていたわけでもなく、仕事をしていたわけでもない。鏡を見ているうちにちょっとぐいっとちからを込めてみただけ、それもほんの戯れに。そんな事情を話したら笑われるだろうか。それともこんな大変な時にと叱られてしまうだろうか。普段と違う今だから、やっぱりコロナはもちろんだけど、こんなふうに突発的に病院に行くことにためらいを感じる。そしてこういった経験をすると思うよね。平時は助かる病気や怪我でも助からないかもしれないのではないかと。やっぱりちょっとしたことでも怖くなるし、なるべく急な怪我や病気はしたくないなと思う。それが医療に携わる方々への協力ということになるのかもしれない。感染対策ももちろんだけど。だから思い付きで尻に渾身の力を込めてはいけない。こうしている今もまだ臀部左下、足の付け根に近い部分がまじで痛いんだ。軽い筋肉痛のような痛み。事件から3時間は経ってるのに。こんなになるほどのちからの入れ方ってどんだけ。今回はただ痛めただけで普通に動き回れるし、明日になればかなり楽になっていると思う、というかそう信じたい。普段やらないようなとっぴな行動は今は謹んでおこうと思ったお風呂タイムの出来事でした。

でもほんと、どうしてこんなになるほどのちからを入れてしまったのか。全力でやってしまったのが大ダメージにつながったのかもしれません。初めての経験だったので、今はやっちまった感がすごいです。ヒップアップの予想図を見ようとしていてこうなったというなんともファンシーな思い付きでこんなことになるとはね。お尻の無事を祈りながら今日はもう寝ましょう。皆様もお尻を大事にしてくださいね。では、よい夢を。

昨年末にスキー教室 その4 服装

スキー教室での服装。まず汗取りタオルでしょ、んでその上に肌着のタンクトップ、そして長袖のTシャツ(秋に着るような薄手のもの)の上ににフリース。下は裏起毛の暖かい綿パン。足元は厚手の靴下1枚。それらの上にスキーウェア上下を着て、帽子にネックウォーマーとスキー用の手袋。これでちょうどよかったようです。札幌市内は氷点下10度。藻岩山ならもっと低い気温だったでしょう。それに吹雪いていた時間帯もあったようですがこれでいいとのこと。晴れて日差しがあると暑くてたまらなかったと言っていました。子供って温かいんですね。わたしならもっともっと着込んでいかないと山でスキーは出来ないような気がします。靴下は2枚重ねでズボンの下にはレギンスを履き、重ね着した上にユニクロあたりのライトダウンを仕込んでその上にウェアを着ないと間に合わないんじゃないでしょうか。

とにかく送迎バスの時間に遅刻しないように送り迎えをし、朝は8時10分、帰りは15時までに停留所へ着くように家を出た3日間。寒波できんっきんに冷えていたので早起きするのがつらいし外でバスを待つのもつらいものがありました。でも昼食付きだからお弁当の用意をしなくていいというのがよかったし、一通りのことが出来るようになり、プロの教えのありがたさもよく分かりました。結果は行ってよかったと思います。

さてスキー遠足はまだこれからです。スキー学校での経験はきっと生かされるのではないかと思っているのですがどうなることやらです。遠足の日はお弁当が必要なのでいつもより早起きして用意する必要があります。あんまり寒くないといいんですけどね。冷え込む日の朝は寒くてたまりません。眠い寒いと思いながら立つ早朝の台所。お弁当に詰めた残りのおかず類はそのまま朝ご飯に出すので一石二鳥なところはいいんですけどね。前日から買い物して準備して、お弁当用の買い出しは忘れ物がないようにと気が張り詰めるしちょっと大変。でも好きな物をたくさん詰め込んでおくと喜んでくれるからやりがいはあります。けど、けれども、やっぱりちょっと大変よ。これが高校生とかになって毎日お弁当となるとどうなるんでしょうね。毎日のことだから慣れていくのか、はたまたハードコア弁当にたどり着くのか。行く末は神のみぞ知る、のかな。

それでは年末にスキー教室、これにて完結。

で、スキー教室を目前にして彼はスキー用の手袋を失くしてきました。もうひとつ持ってるからいいんだけどね。去年まで使っていたものをまた出して来たらいいだけ。でももう失くさないでね後がない。今日はイオンに失くした手袋の代わりを買いに行ったらもう全然売っていなかったよ。だから今持っているのを失くしたらすぐには買えない。通販で注文すると数日待つことになるから間に合うかどうか大変だ。どうか失くしませんように。なむなむー。

昨年末にスキー教室 その3 成果

初日は泣いたそうだ。送迎バスを待っているあいだにスキー教室から電話があり、みんなについていけなくて「だからいやだったんだ」などと言って涙を流していたということを知らされた。全然スキーに慣れていない息子。初級のクラスだったにもかかわらずそれでもだめだったらしい。ここでわたしは思った。やっぱり参加して良かったと。お金を払っている分こちらはスキー教室にとっての客であるはずだ。その分丁寧に教えてくれていることだろう。そのスキー教室で泣きの授業になるのなら、学校のスキー学習やスキー遠足なんて手も足も出ないで終わるのではないか。ならばプロの指導員さんに教わって少しでも出来るようになっておけばなんとか形にはなるだろう。クラス分けがあるので同じくらいのレベルの子たちと一緒に滑ることができる程度にはなるのではないか。指導員さんだってこれまでたくさんの子たちに教えてきたプロだろう。全然出来ない子に教えた経験だってあるはず。ここは信じて後の日程もおまかせだ。

送迎バスから降りてきた息子。もういやだとかなんとか泣き言が出てきた。指導員さんはね、出来るようになって欲しくて一生懸命教えてくれてるんだよ、怒ってるとかじゃないんだよ、と言い聞かせていやいやながらも翌日も翌々日もなんとか行ってくれた。そして最終日。今日は楽しかったと言って笑顔で帰宅してきたのである。なんでも最終試験に合格したし、天気が良かったから何回も滑ることが出来ておもしろかったそうな。さすがプロの仕事だね。初日に泣いた子が、3日後には楽しんでにこにこしながら帰ってくるんだから。教え方もわかりやすかったそうで、一通りのことはできるようになったらしい。これなら来年も行って欲しい、せっかくだからスキーをもっと楽しめるようになったらよいのではないかとおすすめしてみたがもういやだと言われてしまった。山の初日と2日目は天気が悪くて吹雪で大変だったらしい。それに足が痛くなるからもうこりごりだそうな。そんな。楽しかったって言ってたじゃないか。

来年は親子教室なのかそうなのかどうしよう。もう来年のことで思い悩んでいるわたしは鬼に笑われているのかもね。でもリフトも経験し、一通りできるようになったことは大きな成果だったと思う。

でもね、スキー一式揃えて、ウェアと手袋とゴーグルも買って、スキー教室に3万円くらいかかってって負担が大きいのですが。スキー学習とスキー遠足の意味ってなんなんだろうと思う。選択制にしてもらって、スキーをしたい子はして、そうでない子はソリ滑りや雪合戦をするとかで雪に親しみ冬を満喫するというのではだめなんでしょうか。いろいろ考えてしまいます。

つづく

昨年末にスキー教室 その2 理由

そもそもなぜ3万円ほどの安いとはいえない料金を払ってスキー教室に行ったのか。それは学校からのお達しがあったから。スキー学習がはじまる前に、家庭でひととおりのことを出来るようにしておいてくださいとのこと。スキーの着脱とか滑ってみるとか道具の点検と手入れとか。それらが一覧になったチェック表の最後にはこんな項目があった。1度は山へ行へ連れて行ってもらって滑ること。うっ。わたしはスキーが苦手で、中学3年のスキー学習以来1度たりともスキーをしたことがない。小学4年生にひとりで行ってくるようにだなんて言えないから、わたしが連れて行って一緒に滑るしかないのにとてもじゃないけど教えられない。スキーの着脱のしかただってうろ覚えでなんとか記憶を手繰り寄せて教えられたくらいなのに無理にも程がありますです。へっぴり腰で転びまくることうけあい。息子の練習になんてならないだろう。無理よー無理―。

去年もお達しはあった。けどわたしはそれを軽視していた。みんなそんなにスキー場に行かないよね?と思って近所の大きめの山がある公園で軽く滑る練習をするにとどめた。しかしふたを開けてみればあらびっくり。スキー場に連れて行ってもらわなかった子はうちの子含めてたったの3人だけだったではありませんか。みんな......行くんだ......。でもコロナのせいでスキー遠足は中止になり、いつものスキー学習だけで終わった去年。スキー場に行ったことがなくても影響はなかった。

1年と2年はスキー遠足には行かない。それは3年生からなので山に慣れておくようにということなのでしょう。そして4年になった今年、反省したわたしは息子にスキー学校へ通うという選択肢を与え、彼が了承したので申し込みをしたというわけです。わたしがスキー場へ連れていけない、そしてうまく教えることもできないおかげで息子は全然滑れない。転んでも起き上がれないしカニさん歩きで山を登るのもままなりません。学校でのスキーの授業だけではおぼえられなかったのでしょう。このままスキー遠足に行ってもみんなについていけなくて泣きを見ることになるかもしれません。わたしはその責任を取ろうと考え、スキー学校へ行ってもらうことに決めました。自分で出来ないので外注です。これがスキー教室に行くことになった理由です。

わたしが小学生のころ、親が無関心なこともあってスキーの練習なんてしてもらったことがありませんでした。学校でだけの経験で滑ることが出来るようになったのは担任の先生たちのおかげです。なぜかスキーの指導員の資格を持った先生ばかりでした。説明がわかりやすかったことだけは覚えています。さすがに教えるのがうまかったんだなと今振り返ってそう思います。ですがそれをすっかり忘れて自分の子に教えられない自分が不甲斐ないのでございます。スキー教室に頼ったおかげで今シーズンはなんとか山でのスキーを経験させてあげることができましたが、来年も、そして再来年もお達しはあるのでしょうか。なんだかそれも憂鬱です。なぜなら今回けっこうしんどかったからなのです。時間厳守のプレッシャーのなか、ガクブルの送り迎え。いちばん疲れたのは息子だったと思いますが、わたしもあの3日間は疲れました。それをまた来年もと思うとつらいですね。1日だけ親子教室にでもかよおうかな。めっちゃいやだけど、スキー教室となると数日間連続だし、1日で済ませるなら付き添ってわたしも、ぎ、せ、い、に。一文字ずつ点を打ちたくなるくらいいやなのかお前は。考えただけで溜息がでそうです。あああああー来年はスキーかーついに逃げていたスキーと向き合うときがきたのかー30年ぶりってすごいブランクだなおい。

つづく

昨年末にスキー教室 その1 とにかく寒いよあばばばばー

昨年の年末、29日・30日・31日と3日連続で藻岩山スキー教室に行ってきました。息子が。わたしではなく。大晦日までスキー教室だなんて、この日程を選んだのはなぜだったのか、今ではちょっと記憶が曖昧です。なぜなら申し込んだのはいつだったのか覚えていないくらい前だからです。たぶん数か月前ですね。うーん、3か月前くらいだったでしょうか。年末なんて暇だからこの時期でいいかと、いくつか選べたはずの日程からよりによって年末です。わたしたちにとってはいろいろと不便な日程でした。まず送迎バスの停留所まで行くためのバスの便がいつもより少ない。ぎりぎりなんとかなった感じでした。申し込んだ当初は送り迎えのバスの便のことなんてこれっぱかりも考えていなかったんですよ。わたしって奴はまったくもうね。うちには車がないから移動はバスかタクシーになりますが、年末はタクシーだって全然走っていません。特に大晦日。みんなちゃんと休むんですね。人の動きなさそうだものね。あとは年越しの準備をしながらこの極寒のなかでの送迎。最低気温は氷点下10度。朝は早いし迎えは割と早い時間で大忙しだったし、寒波の襲来で氷点下の気温のなか、ガクブルしながら迎えを待つ、帰りを待つのもつらかった。凍てつく風の中に突っ立っての見送りと迎え。これはこたえましたね。ダウンコートの下はもこもこの重ね着。タンクトップの上に長袖インナー、厚手のセーターの上にフリース、デニムの下には10分丈のレギンスに靴下は2枚重ねでブーツがきっつきつ。上も下もぱんぱんに着ぶくれしていたけどそれでもじっとしていられないほどの寒さに首をすくめながら常にもぞもそ動いてましたよ。バスを待つあいだは軽く足踏みして靴の中でつま先を曲げ伸ばし、ポケットの中に手袋ごと突っ込んだ手も指先を曲げ伸ばし。「寒すぎるよ寒いよあばばばばばば」って心のなかで言ってた。

もし車があれば、スキー場まで直接行けたことでしょう。あったかい車内で、外にいる時間なんてなくて。年越しの買い物だって余裕だったんじゃないかと思われます。あと、誰か協力してくれる人がいれば送迎を頼んだり買い物を頼んだりできました。ひとりですからねなんといっても。だからもう少し日程を考えたほうがよかったです。反省......しているけどそれは次回に生かされることなないのかもしれません。

つづく。

追いクリームな季節

最低気温が氷点下10度、そして最高気温が氷点下8.4度。つけっぱなしのストーブ、内蔵されている温度計によると室温17度。ここから上がりません。微小にしているからでしょうけどね(なんだか灯油がもったいなくて)。着込んで過ごしています。外に出ると風もあるせいかガタガタ震えるほど寒いです。吹き付ける雪に顔が痛い。年末年始もこんな感じで寒かったですよね。そして明日も冷え込むんですってよ。早く寒波には去ってもらいたいものですが、この季節の冷え込みと夏の暑さ。1年のなかで寒暖差が大きすぎ。。冬はこんなに寒いんだからせめて夏は25度くらいまでにしてもらいたいものだけど、35度くらいになったりしますからね最近は。過酷です。やっぱり温暖化はよくない。

1年で最も寒いこの時期は乾燥肌も1年で最もひどくなります。かっさかさですかっさかさ。風呂上がりにメンソレータムADを全身に塗りたくり、朝起きてからもカサついてかゆいところに追加で塗ってます。いわば追いクリームです。いつもは風呂上りに塗るだけで、翌日までずっともうかゆくならない。だけどこの時期だけは追いクリームしないとやっていけません。放っておくとかゆいというかだんだん痛くなってきます。動くたびに皮膚がぴきっと裂けるような感覚。痛ーい。メンタムなしでは生きていけない季節です。いつもストックしてひとつは買い置きしてあります。切らすことはできない大事な薬です。

どうやっても治らないんですよね乾燥肌。皮膚科の先生に「体質だから仕方ない」って言われたし。もう一生メンタムのお世話になろうと思っていますが、今はこうして自分で塗れるけど、どんどん年齢を重ねて自分では塗れなくなって、塗って欲しいという意志さえ伝えられなくなったとき、かっさかさでかゆいままでいなくちゃならないのかなと想像すると恐ろしいものがあります。ええ決してお風呂でごしごし洗ったりはしていないんですよ。なんとかしたいものであります。