夕霧ジャーナル

ブランクはありますが2005年から長く続いているブログです。

息子が学校を休んだ日、今日はゆっくり休んでね

今日は5月18日木曜日。

4月から中学生になった息子が、クラスになかなかなじめずに「ぼっち」でつらいと打ち明けてくれたのが昨日の夜。勇気を出してやっと言えたそうだ。彼は最近、やたらと学校がめんどくさいんだとかつまらないんだとか授業が長くなっていやだとか言ってた。そしてこれもやたらとわたしの中学生時代のことを聞いてくる。お母さんは中学時代に何がいちばん楽しかった?とか、嫌なことはあった?とか、毎日毎日。どうしたんだろうと思っていじめられていないか嫌なことがあるのかとたずねてみても何もないとしか言わない。入学直後は小学校時代に同じクラスだった子たちと一緒にいたみだいだし、友達もできてきたんだと言っていたから問題ないのかと思っていた。そして本当に授業がつまらないから学校に行きたくないのかと思っていた。でもやっぱりちがった。

いわゆるぼっちというのはつらいものだ。わたしはそれをよく知っている。転校を何回も繰り返し、そのたびにぼっちで新しい環境に入っていかなければならなかったので身に染みてよくわかっている。あれは本当につらい試練だった。ある日見ず知らずの集団のなかに放り込まれる。見渡しても知らぬ顔ばかり。今思い出しても涙が出そうなほど、胸が潰れそうなほど、悲しく苦しいものだった。

まず小2のころに父のDVにより、母方の実家へ避難したので転校。そこでずっと暮らそうとしたものの実父がたびたび押しかけてきて母を連れ帰ろうとしたり叔母を殴って病院送りにしたりと警察沙汰が続いたので避難することになり、叔母の知り合いをたよって富良野市の山部村へ引っ越したので転校。隠れるように1年ほどそこで暮らしたけど、母が以前スナックで働いていたころの客だった男性と再婚するため、後の養父となる彼の勤務先に近い札幌市内へ引っ越して転校。小さなアパートで2年くらい暮らし、やがて妹が生まれたので家を建てることになり小樽市へ引っ越して転校(札幌市内よりも土地が安かったからという理由)。数にして4回も学校が変わった。親に頼らなければまだ生きていけない子どもにとって、ついていく以外に選択肢はない。転校するもしないもない。転校するしかない。なじみのある景色も、好きな友達も、すべてを失った。

転校初日の足取りは重い。知らない場所、知らない人ばかり。そこへ頼る人もなくたったひとりで入っていかなければならない。わたしは強い子どもではなかった。消えてしまいたいくらい苦しかった。最初はそりゃぼっちだよ。先生に紹介されて席につき途方に暮れ、おずおずと話しかけてくる子に返事をしたりする。あの居心地の悪さはたまったものではない。田舎じゃ特に珍獣だ。教室の入口へ鈴なりになってわたしを見に来るほかのクラスの子どもたち。

中学に進んで今はぼっちの息子。あのときのわたしと同じくらいの苦しみではないにしても、休み時間に一緒に過ごす子がいなくて、小学校時代に仲のよかった子がいるクラスに遊びにいってみたり、図書室で本をよんだり、学校の中をふらふらさまよったり。それはそれでつらいものがあるだろう。容易に想像がつく。だからいいよ休んだって。つらいでしょそんなの。入学してから1か月ちょっとのあいだ、ずっと我慢してたんだから疲れたでしょう。わたしはあなたに壊れて欲しくない。最悪の事態になったらいやだよ。今日は好きなことをして過ごして。安心して。大丈夫だから。

明日は学校に行くと言っている息子。しばらく休んでもいいのに正直心配ですが。同じクラスに友達はいないけど、別のクラスには小学校時代の友達がいて、学校に行かなくなると彼らとの繋がりも途切れてしまうかもしれないからつらいけど行くって言ってる。それに関してはいろいろ話し合った。これからのことも。とにかく一緒に乗り越えていこうと思います。

最初はぼっちでも、なんとなくグループに入れるようになったり、そのうち気の合う子が現れて仲良くなったり、それで救われたりしてきた。お別れしてきたあの子たちに、わたしは感謝している。息子も入学してまだひと月。これからどうなるのか。見守っていきます。