愛犬モグさんとの散歩中、いつの間にか右手の人差し指の付け根を蚊にくわれていました。それがまたかゆくてかゆくて、家路をたどる間中ずっとさすりながら歩いていたのですが、家について洗い物などをしている間に気づけばすっかりかゆみはおさまり、くわれた痕も引っ込んでいました。それを見てわたしの血はやはりマズイのだろうかと、ほんの少し狼狽。マズくて途中で吸うのをやめたからすぐ引っ込んじゃったのかな、とおもってしまいます。去年もこうだったんですよね。
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ひと月ほど前の夕方のこと。仕事から帰って来て居間のカーテンを閉めようとしたときに、レースのカーテンにボールペンの先ほどの小さな黒い点々がいくつかくっついていることに気づいた。最初、それをゴミだとおもったわたしは、翌日の朝に掃除機をかけるとき、一思いに全部吸ってやろうとおもった。しかし、このレースのカーテンに付着している小さな点の正体は一体なんなのだろう。今朝見た時にはなかったのに、なぜいきなりこんなゴミが?疑問におもったわたしはその正体を見極めようと、点の一つに顔を寄せてマジマジと見つめてみた。そして正体判明。それは小さなクモだったのだ。部屋の中にもともとクモのたまごがあったのだろうか。そしてそれが孵化したのだろうか。それともどこかの隙間から家の中に入り込んだのか・・・。
虫が苦手なわたしはもちろんクモも苦手(ごめんね、クモさん。君はなんの悪さもしないのに苦手とか言っちゃって)。でもだからといって、クモとわかっていて掃除機で吸うのは忍びない。なので全てのクモを外に逃がすことにした。細い筒状に丸めた新聞紙の先をつぶしてシャベルのようにしたものを使って、カーテンにくっついている子グモを2〜3匹ずつすくいとり、開け放した窓から地面へ放した。その数を一応数えてみたら全部で10匹。
クモを救出しているわたしってばなんて素晴らしいんだろうなどと悦に入りながら、このときわたしが考えていたこと。「わたしが死んで地獄に落ちたら、今助けたクモさんたちの糸が目の前に降りてくるかもね。「蜘蛛の糸」みたいにさ。そしたら、それを伝って天国へ登っていけるよ。でさ、助けたクモさんの数が10匹だから、クモの糸も10本束になってるの。だから全然切れる心配とかなくて、地獄の亡者さんたちが鈴なりになって登ってきても余裕でいられるの。それでみんなで天国に行けるのね。わたしは亡者さんたちに感謝されるし、クモの糸を切らなかったから神様にもほめられるし、生前にクモを助けた心優しい人として一躍ヒーローだよ。うひひひひ。」
こんなふうにウハウハしながらクモを助けていた。しかし、こんな欲望丸出し人の前にはクモの糸は降りてこないんじゃないでしょうか、ともおもいます。浅ましきかなわたし。
昨日、天井に小指の先ほどの小さなクモがくっついているのを発見しました。もしかしたら一月前に救出しそびれたクモが一匹残っていたのかもしれません。そういうわけで、このクモも外に放しました。一月もの間、飲まず食わずだったんじゃないだろうか、それでもこれだけ大きくなったのだろうか、そうおもうとなんだか痛々しいです。例の新聞紙シャベルでつつかれても逃げようともせず、大人しくすくわれていたのでかなり弱っていたのかもしれない。かわいそうに・・・そんなことを考えながらの救出。そしてその間も、「これで11匹か。11本のクモの糸だ。うひひひひ。」とか考えてたわたしにはやはりクモの糸は降りてこないような気がします。