夕霧ジャーナル

ブランクはありますが2005年から長く続いているブログです。

旅立った翌日の朝に聞こえた声

2010年の暮れに猫のひめさんが旅立った。翌年の春には9歳になるはずだった白黒模様の女の子。突然具合が悪くなり、ひと晩入院したけど治療のかいもなく、家に帰って来てから3日後に息を引き取りました。命日は12月26日。埋葬はその日の夜。場所は相方の実家の裏庭。ハスカップの木の根元。そのあたりには相方実家の亡くなった動物たちが埋められているそうで、言わばペットセメタリー。わたしが話に聞いただけでも確か4匹の猫と1匹の犬が眠っている。

そのときは息子が生まれてまだ1か月しか経っておらず、わたしたち家族は義理の母に産後の面倒を見てもらうために相方の実家に滞在していた。ひめさんの看病もそこでしていたわけで、いつもの住み慣れた場所で眠りにつかせてやれなかったことが心残りだった。だけど相方の実家の裏庭ならいつでも会いに行ける。すぐに墓参りができる。その点は良かったと思っていた。もう雪も積もっていてひどく寒い冬の夜、相方は凍りついた土をがんばって掘り抜き、ひめさんの亡骸を埋めた。息子がいるのでわたしはその現場に立ち会うことができなかったけど、埋葬の前には最後のお別れを言って送り出した。ひめさんが亡くなったなんてまだ信じられないような気持でいた。そして翌日の早朝のこと。

時刻は午前4時くらいだったと思う。わたしは居間のソファーに座って授乳中だった。新米かあちゃんのわたしは、昼も夜もなく息子の世話をしていて疲れきっており、寝不足のためぼーっとしながら、それでも息子を取り落とさないように抱きかかえ、試行錯誤しながら母乳を飲ませていた。そのとき、裏の勝手口のほうから猫の鳴き声が聞こえた。にゃーん、にゃーん、と何度も聞こえる。はっきりとした大きな鳴き声。よく聞いてみるとそれはひめさんの鳴き声のように思えた。甘えたような、何かをねだるときのようなひめさんの声。わたしはまさかと思った。亡くなったはずのひめさんは、実は生きていたのだろうか。それなのに埋められてしまい、土のなかで意識を取り戻し自力で這い出てきたのだろうか。ならば助けなくては、と。しかしひめさんは確かに亡くなっていた。これはどういうことだろうか。ひめさんに似た声の猫がこのへんをうろついているのだろうか。それともこれは亡くなったひめさんがわたしにだけ聞かせている声なのか。なにか訴えたいことがあるのだろうか。それともこれは夢なんだろうか。わたしは起きていると思い込んでいるけど、実は眠っていて夢を見ているのだろうか。猫の鳴き声を聞きながらそんなことを思っているとやがて声は聞こえなくなった。

数時間経って、隣の部屋で寝ていた相方が起きてきたので、すぐに猫の鳴き声のことを話した。わたしにだけ聞こえたのかと思っていたけど、相方もはっきりとその声を聞いたそうだ。確かにひめさんのような声だったと。そしてすぐにひめさんを埋めた場所を確認しに行った。けれどもそこは昨夜のまま、ならした土には掘り返したようなあともなかったという。あれは何だったんだろう。虹の橋へ旅立つ前にお別れを言ってくれたのかもしれない。甘えたような声だったけど、ちょっと悲しいような感じもした。

春になって雪がとけ、暖かくなったころにお墓参りに行ったら、ひめさんを埋めたところにとてもかわいらしい花が咲いていた。ひめさんはお花になったのだ。虫さんとか、小動物にもなっているのかもしれない。そして川を流れ、雲になり、風になる。あの花、今年も咲くといいな。そうしたら写真を撮っておきたい。去年は息子がまだ小さくて余裕がなく、カメラも忘れていってしまったので撮れなかった。

長い地球の歴史のなかで、ひめさんと同じ猫はもう二度と現れない。唯一の存在。子犬だったモグさんとよく遊んでくれた。あんな小さな女の子の猫が、大型犬の子犬を恐れもせず、からかったり教育的指導をしてくれたのだ。子猫のウピピがきてからは母親がわりになって、おっぱいを吸わせたりして面倒を見てくれた。ひめさんはみんなのお姉さんだった。魚より肉が好き、なかでもラム肉が1番好きだった。いきなりわたしに飛び蹴りをくらわせることもあった。爪を切られると緊張してふーふー言っていた。ブラッシングも嫌いだったね。どれもいい思い出だよ。ありがとうひめさん。みんなひめさんが大好きだったよ。