夕霧ジャーナル

ブランクはありますが2005年から長く続いているブログです。

フリースセーター、ゲレンデの思い出

1月14日からヤッターマンがはじまるんですね。幼稚園か小学校低学年だった頃にみていたから懐かしいです。ドロンジョ様素敵。

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『ゆにくろ』を変換したら『湯に黒』になってしまいました。なんだこれは。もう一度『ゆにくろ』を変換してみたら今度は『ユニクロ』になった。パソコンってけっこうきまぐれなんだね。

そのユニクロでフリースのタートルネックセーターを3枚買いました。お買い得価格で一枚千円。去年もこの千円のフリースを3枚買い、それらは今年もまだまだ着れそうだったのですが、あまりにも頻繁に着すぎたのと度重なる洗濯とで首周りがビローンと伸びてきてしまったので、今年も3枚新たに買ってしまいました。軽くて暖かくて、乾燥肌のわたしが着てもチクチクしなくて、おまけに遠慮なく洗濯できるのでついこればかり着てしまい、気付けば去年買ったフリースセーターのみを回して着ている状態に。ですがそれもなんだかあんまりなのでこうして買い足しました。本当はあともう3枚ほど買うつもりだったけど、気に入った色のが売り切れていたので3枚にとどめておきました。出始めの頃に買えば好きな色全部手に入ったはずだから、今年の秋口にこの千円のフリースが売り出されたら、とにかくまとめて5枚くらい買うつもりです。こげ茶とグレーと深緑が欲しいです。

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つけっぱなしのテレビから、広瀬香美さんの「ゲレンデがとけるほど恋したい!」が聞こえてきて、なんだかスキー場を思い出してしまいました。この曲はスキー用品のCMに使われていたことがありましたよね?学校のスキー遠足でゲレンデに行った懐かしく、ほろ苦い記憶が呼び起こされてしまいました。

北海道で小中学校の冬の体育の授業といえばスキー。地域によってはスキーではなくてスケートの場合もあるようですが(例えば雪の降らない道南方面)、わたしは小中学校でスキーの授業を受け続けてきました。校庭のグラウンドに土を盛って作った人工の小山で滑るぶんにはまだ良かったのですが、スキー遠足でスキー場へ行くというのが、わたしは苦手でした。スキー遠足の朝、自宅で窮屈なワンピースのスキーウェアを着込み、背中にはスキー靴とお弁当と水筒と300円分のおやつその他もろもろの入った重たいリュックを背負い、肩にはスキー板をかついで学校へ集合し、校庭にとめてある貸切のバスにクラスごとに乗り込んでスキー場へ行くというのがまずわたしにとってはしんどかった。しかしその後はさらにしんどい。スキー場につくとすぐにリフトの列に並び、やってきたリフトに乗って山の頂上へ運ばれる。そして滑る。それを昼食の時間まで繰り返す。昼食の時間になったら、レストハウスの中、に入るのではなくてレストハウスの外の地べたに座って弁当を食べる。晴れていたらいいけど、吹雪いているときは辛かった。あまりにも天候が悪いときには先生が交渉して、レストハウスに生徒全員が入れるようにしてくれたけど、それ以外は冷たくて真っ白な雪の地べたで昼食をとるのが基本。昼食が終わったらトイレを済ませて、帰る時間までまた滑り続ける。

スキーの上達度によって生徒たちはグループ分けされていた。初級のグループなら、先生に手取り足取り教えてもらえる。みんなと会話しながら、教わりながら、少しずつ滑ることができるのだ。しかし中級上級になるとただひたすら滑るだけ。それでも上級ならまだいい。上手いから自由にどこを滑ってもいいし、滑ることを楽しめるだろう。しかし中級は、滑るコースが決められている。難しいコースは怪我の元だからなんだろう。それでいて先生が手取り足取り教えてくれるわけじゃない。一応は滑れるからだ。そういうわけで中級のグループは同じコースをただひたすらに滑ることになる。そしてわたしも運動音痴ながら中級グループだった。

あれは小学校4年の頃だったろうか。そのシーズンの何度目かのスキー遠足のとき。わたしの滑りを見ていた先生がわたしにこう言った。「もうちょっと早く滑ってみたらどうだい?」と。わたしはスピードが出るのが怖かったのでいつもスキー板をハの字にしてゆっくり滑っていたのだ。いわゆるボーゲンですね。あまりにもいつもそんななので、先生もイライラしたのかもしれない。上達するにはちょっとの冒険も必要だったのかもしれない。わたしはけっこう意地っ張りなところがあるので、そう言われてちょっとばかりカチンときた。だからゲレンデの中途でそう言われて、思いっきり直滑降で滑ってみた。すごいスピード。雪煙を舞い上げるほどの勢いで滑降していくわたし。そしてゲレンデの終わる手前でボーゲンに戻してスピードダウン。追いついてきた先生が「やればできるじゃないか。」とほめてくれた。「でもあんまりスピード出すなよ。危ないから。」と釘を刺すのも忘れない先生。しかしわたしには火がついてしまった。直滑降のスピード感とスリル。スキーの楽しみはここにあったのだよ。もうボーゲンなんてダサイ滑り方はしないぜ。ふふふ。

調子に乗ったわたしは直滑降で滑り続けた。もっと早くもっと早くとだんだんエスカレートしていくそのスピード。先生はそんなわたしを呼び止めて、「もうちょっとゆっくり滑りなさい。危ないからね。」と忠告してくれた。「はい。」と素直に返事をするものの、内心では「わはは、もう誰にも止められねーぜ!」と大フィーバー。そして起こった悲劇。スピードが出ていれば出ているほど、ゲレンデの斜面が終わる手前で早めの減速が必要だが、そのタイミングが遅れて止まりきれず、斜面が終わって平らになった雪原を「わあああ〜!あああああ〜!」と叫びながら滑りぬけ、終端のフェンスにガシャーン!とぶつかって止まったのだった。もちろん、人がたくさんいたがみなさん、わたしが叫びながら滑っていくのをかわしてよけてくれました。まるで海を渡るモーセ。ゲレンデ大騒ぎ。

そんなわたしに呆れ顔で近づいてくる先生。「あまりスピード出すとな・・・早めにブレーキかけたほうがいいんだぞ。」わかってる。わかってるけど止まらなかったんだよ。ごめんなさい調子に乗りすぎました。

フィーバーしすぎた自分があからさまに悪いのですが、この一件以来、わたしは以前にも増して慎重に滑るようになりました。そして以前にも増してスキーに対して苦手意識を持つようになってしまいました。滑っている間中、天候が悪ければ悪いほど、「おうちに帰りたい。」そう思いながら滑降していたのです。そしてそれは中学を卒業するまでずっと変わりませんでした。高校はスキー学習の無いところだったのでスキー遠足に行くこともなく、大人になってからも一度もスキーに行ったことは無いので中学生のとき以来まったく滑っていません。道民でも学生の頃以来スキーに行ったことはないというような、そういった方はけっこういるんじゃないかと思うのですがどうでしょう。

ちなみにわたしの妹もスキーは苦手なようです。一回り年の離れた妹の時代になると、スキー板とスキー靴は宅配便でスキー場と学校を往復していたようなので、スキー板を担いで学校に行くということもなかったようですし、昼食も天候にかかわらずレストハウスの中で食べていたようです。人数が少ないからなんでしょうね。わたしの時代よりも圧倒的に恵まれたスキー遠足の環境なのに、なぜスキーが苦手なのか。問うてみたところ、想像を絶する恐怖体験をしていたことが判明。なんでも、猛吹雪の日に滑っていて、急に吹雪が止んで視界が開けたらそこは断崖絶壁スレスレのところで、妹は崖のふちを滑っていたことに気付いて愕然としたそうです。あと少し吹雪が晴れるのが遅れていたら奈落の底にまっさかさまだった、なんで命がけでスキーしなきゃならないんだスキーは怖い。ということでした。あ、危ない。危ないよそれ。ちなみに妹もスキー学習の無い高校へ進学しました。その点を重視して進学先を選んだらしいです。

広瀬香美さんの歌声で呼び起こされたスキーにまつわる思い出でした。

でももう一度ゲレンデへ行ってみたいです。温泉宿に泊まりつつ、自分のペースでゆっくりと、休憩時間にはおいしいケーキとコーヒーなんかをいただいちゃったりしながら滑れるのなら悪くはないかなーと思ったりもします。スキーは上手くないながらも、白銀の世界の、シンとした木立の中のコースを、まっさらな雪に二本の線を描いて滑りぬける爽快感と胸のときめきを、もう一度味わってみたいです。